育てる暮らし

最近、「育てる」という概念が好きになった。

植物を育てる。

子どもを育てる。

そんなふうに使われる言葉だけれど、
今私が育てているものは違う。

毎日手にしている道具。

部屋の環境。

自分の感性。

そんなものを育てている。

昔の私は、何かを足すことばかり考えていた。

新しい趣味。

新しい道具。

新しい知識。

何か一つ手に入れると、また新しい何かが欲しくなる。

満たされたと思っても、その気持ちは長く続かなかった。

「手間」はできるだけ減らしたいものだった。

早く。

便利に。

効率よく。

だれよりも面倒くさがりな私は、それが一番だと思っていた。

毎日の家事さえ面倒くさがり、

いつしか部屋は不要な物でいっぱいになっていた。

そんな環境、なにより、そんな自分に嫌気が差し、
一念発起して部屋を片付け始めた。

「安かったから」とか、「とりあえずこれで良いや」と気に入ってもいないのに妥協して選んだものは、手放すことにした。

その代わり、心から「好きだ」「美しい」と思えるものだけを残した。

一生付き合っていけるような、長く使える道具だけを揃えた。

革の手帳。

お気に入りの鍋。

毎日使いたくなる器。

使い込むほど味わいが増していくものには、不思議な魅力がある。

道具を使うというより、一緒に時間を重ねている感覚に近い。

お気に入りのマグカップでコーヒーを淹れる。

手挽きミルをゆっくり回す。

百合を花瓶に生ける。

ノートを開いて、今日感じたことを書き残す。

どれも特別な出来事ではない。

だけど、毎日がときめくものに変わった。

使えば使うほど、さらに好きになっていく。

その変化が、なんだかすごく嬉しかった。

自分で初めて豆を挽いてコーヒーを淹れたひとときは、きっと一生忘れない。

木のハンドルを回す感触。

立ちのぼる香り。

お湯を注ぐ静かな時間。

一杯のコーヒーができるまでの数分間、子どものようにワクワクした。

手間は、愉しむ時間をくれる。

そう気づいた。

別に収入が上がったわけではない。

(むしろ良い道具を揃えたので、貯金は減った。)

でも毎日が、信じられないほど豊かになった。

「もっと欲しい」と思うことが減った。

欲しいものがなくなったわけじゃない。

ただ、心のコップが静かに満たされていくような感覚がある。

「もう十分だな。」

そう思える日が増えた。

昔は、新しいものを手に入れることで満たそうとしていた。

今は、今あるものを育てることで、満たされるようになった。

だからこそこれからは、「本当に好きなもの」だけを迎えたい。

暮らしも、人も、道具も。

大切に時間を重ねたものほど、少しずつ味わいが増していく。

急いで完成させなくていい。

理想の暮らしを、理想の自分を、一気につくらなくてもいい。

今日の一杯のコーヒー。

今日飾った一輪の花。

今日書いた1ページ。

そんな小さな積み重ねが、気づけば私らしい暮らしになっている。

暮らしは、完成させるものじゃない。

日々の中で、少しずつ育っていくものなんだと、
今は思う。

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