最近、タロットを引くことが日課になっている。
今日も、
「今の私に必要なことはなんだろう」
そんな気持ちでカードを引いてみた。
出てきたカードを眺めていたら、今の私の暮らし方について、大切なことを教えてもらった気がした。
「好き」がどんどん広がっていく
現状に出たのは、
女帝とワンドのナイト。

女帝は、愛や豊かさ、育むことを表すカード。
ワンドのナイトは、情熱のまま前へ進んでいくエネルギーを持っている。
この2枚を見たとき、
「愛をもって豊かさを育むことに情熱を注いでいる」
と読んだ。
これは、今の私そのものだった。
私は「暮らしを、愛でよう」という言葉を大切にしている。
お気に入りの服を着たり。
好きな道具を使ったり。
花を飾ったり。
石を眺めたり。
タロットを楽しんだり。
自分の「好き」を暮らしの中に増やしていくことが、とても楽しい。
でも最近、その「好き」が少しだけ走り出していた。
素敵なものを見つけると、
「これも欲しい」
「次はこれがあったら素敵」
と、どんどん次へ行きたくなる。
女帝は、今ここにある豊かさを味わう。
一方、ワンドのナイトは、情熱のまま次へ走っていく。
私はいつの間にか、
豊かさを味わうことより、豊かさを増やすことに夢中になっていたのかもしれない。
その全部を、本当に愛せる?
未来に出たのは、
吊るされた男の逆位置と、ペンタクルの2。

ペンタクルの2は、複数のものを器用にやりくりするカード。
どちらも欲しい。
どちらも大切。
だから、両方をなんとか回していこうとする。
でも、そこに吊るされた男の逆位置が重なった。
このカードを見ながら、ふと思った。
「今まで手にしたもの全部に、同じだけの愛情を注いでいけるの?」
好きなものが増えるほど、それぞれに使える時間は少なくなる。
物だけではない。
やりたいこと。
趣味。
仕事。
人との時間。
どれも大切にしたいけれど、私の時間も心も無限ではない。
「全部欲しい」
「全部大切にしたい」
そう思うこと自体が悪いわけではない。
でも、一度立ち止まって、
本当に大切にできる量はどのくらいだろう。
と考えることも必要なのかもしれない。
持っていることと、愛していることは、少し違う。
愛するためには、そのものに心を向ける時間がいる。
次のものではなく、今ここにあるものへ
最後に、アドバイスとして出たのが、
月の逆位置と、カップの2。

月は、不安や曖昧さ、幻想を表すカード。
逆位置では、その霧が晴れ、少しずつ現実が見えてくるとも読める。
そしてカップの2は、
愛、絆、心を通わせること。
この2枚を見て、こんな言葉が浮かんだ。
「好きなものに抱く幻想から目を覚まして、今すでに手にしているものと、もっとじっくり愛を育てなさい。」
欲しいものを見つけたとき、
「これがあったら、もっと素敵な暮らしになる」
と思う。
もちろん、本当に暮らしを豊かにしてくれるものもある。
でも、ときどき私は、
まだ手にしていないものに「未来の幸せ」を重ねているのかもしれない。
次のもの。
その次のもの。
そうやって未来にある豊かさを追いかけていると、
目の前にある豊かさが見えなくなってしまう。
カップの2は、人と人との愛を表すことが多い。
でも今日の私には、
「私と、今ここにあるものとの関係」
にも見えた。
新しいものに恋をする前に、
今そばにあるものと、もう一度恋をする。
お気に入りの服を着る。
大切な道具を手入れする。
持っている石をゆっくり眺める。
買ったタロットを何度も使う。
すでにあるものに、時間と愛情を注いでみる。
そういう豊かさもある。
集める愛から、育てる愛へ
私はずっと、
「暮らしを愛でる」ということを、
自分の「好き」を暮らしの中に増やしていくことだと思っていた。
それも、きっと間違いではない。
好きなものに出会うことは楽しい。
心が動くことは、生きる喜びでもある。
でも、その先があるのかもしれない。
好きなものを見つける。
そして、
見つけたものと、長く付き合っていく。
使って。
眺めて。
手入れして。
時間を重ねて。
少しずつ「私のもの」になっていく。
それもまた、暮らしを愛でるということなのだと思う。
たくさん持っていることが、豊かなのではなくて。
自分が持っているものに、
どれだけ「好き」と言えるか。
どれだけ心を向けられるか。
今日のカードは、そんなことを教えてくれた気がした。
次の「好き」を探す前に、
今日はもう少し、
今ここにある「好き」を眺めていようと思う。


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