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誰かの物差しの、届かない場所に。

先日、職場の飲み会で、ある言葉を耳にした。

「高卒にもわかるように言って」

上司が、大学生の同僚に向けて放った一言だった。

私は高卒だ。

私に向けた言葉だったのか、単なる冗談だったのかはわからない。

けれど、その瞬間、場の空気が凍った。

私は何も聞かなかったように振る舞った。

その後も、いつもどおり会話を続けた。

けれど、心の中では、どうしようもない怒りが湧き上がっていた。

高卒だから理解力が低い。
大学を卒業しているから優秀である。

そんな価値観が、何気ない一言から透けて見えた気がした。

たった一言だった。

けれど、その一言で、相手に対する信頼が音を立てて崩れていくのを感じた。

目次

悔しさの正体

帰宅して、夫に今日の出来事を話した。

すると、自分でも驚くほど涙があふれてきた。

悲しいというより、悔しかった。

とにかく、悔しかった。

そして、そんな言葉をいつまでも気にしている自分にも腹が立った。

どうして、こんな人の言葉に傷つかなければならないのだろう。

どうして、他人の評価に、こんなにも心を揺さぶられてしまうのだろう。

私は、もっと優秀になってやろうと思った。

今まで以上に勉強して、英語を自由に話せるようになって、誰にも馬鹿にされない人間になってやろう。

そんなことを考えていた。

けれど、少し時間が経って、ふと気がついた。

私は、いったい誰のために努力しようとしているのだろう。

誰かの物差しで、自分を測るということ

社会には、人を評価するための物差しがたくさんある。

学歴、職業、年収、資格、肩書き。

それぞれに意味があり、努力の結果を示すものでもある。

けれど、それらは人間のほんの一部分を表しているにすぎない。

学歴が高いからといって、他人の気持ちを理解できるとは限らない。

知識が豊富だからといって、思いやりがあるとは限らない。

社会的に成功しているからといって、人間として成熟しているとは限らない。

それなのに、私たちはときどき、他人が差し出した物差しで、自分の価値を測ろうとしてしまう。

そして、その基準に届かない自分を恥じたり、もっと優秀にならなければと焦ったりする。

今回の私も、そうだった。

馬鹿にされた悔しさから、もっと能力を身につけて、相手を見返してやろうと思った。

けれど、それでは結局、相手が差し出した物差しを、自分でも握りしめていることになる。

その物差しで勝とうとしている限り、私はいつまでも、相手の評価から自由になれない。

本当の知性とは何だろう

今回の出来事で、私は一つの問いにたどり着いた。

本当の知性とは、何だろう。

難しい言葉を知っていることだろうか。

高い学歴を持っていることだろうか。

誰よりも優れた能力を身につけることだろうか。

もちろん、知識を得ることも、能力を磨くことも素晴らしい。

けれど、それだけでは足りない気がする。

どれだけ多くの知識を持っていても、その知識を使って他人を見下すのであれば、私はそんな人間にはなりたくない。

自分より経験の少ない人にも、異なる価値観を持つ人にも、敬意を払えること。

自分の知らない世界があると認め、相手の言葉に耳を傾けられること。

そして、自分が優位な立場にいるときほど、相手の尊厳を大切にできること。

それは、学歴とは別のところにある、人間としての成熟なのだと思う。

知性を誇示することと、知性的に振る舞うことは違う。

私は、そんなことを改めて考えた。

怒りを燃料にしなくてもいい

今回の悔しさを、努力の原動力にしようと思った。

けれど、私はもともと、英語を学ぶことが好きだった。

海外の人と話してみたい。

好きな動画を字幕なしで理解したい。

英語の本を読んで、今まで知らなかった世界に触れてみたい。

そんな純粋な好奇心から始めたことだった。

それなのに、いつの間にか、誰かを見返すための道具にしようとしていた。

少し、もったいないことをしたと思う。

怒りは、ときに強い原動力になる。

けれど、好きなことまで怒りに支配される必要はない。

誰かに勝つためではなく、自分が楽しいから学ぶ。

誰かに認められるためではなく、自分の世界を広げるために努力する。

その方が、きっとずっと遠くまで行ける。

誰かの物差しの、届かない場所に

今回の出来事を、私はまだ許せていない。

思い出せば腹が立つし、悔しさも消えていない。

けれど、無理に許す必要も、忘れる必要もないと思っている。

ただ、これから先の人生まで、その人の価値観に振り回されたくはない。

私が目指したいのは、誰かより優秀な人間になることではない。

誰かを見下すことで、自分の価値を確かめる人間にもなりたくない。

学歴でも、英語力でもなく。

他人を尊重できる人間でありたい。

そして、他人を尊重するのと同じように、自分自身のことも尊重できる人間でありたい。

自分を大切に扱ってくれない場所からは、離れてもいい。

誰かに認められなくても、自分の好きなことを続けていい。

自分の価値を証明するために、何かを成し遂げなくてもいい。

いつか、今日の出来事を思い出しても、何とも思わなくなる日が来るだろうか。

それは、まだわからない。

けれど、その頃には、もっとたくさんのことを学んで、もっと広い世界を知っていたい。

そして、どれだけ遠くへ行っても、人を尊重する気持ちだけは忘れずにいたい。

誰かの物差しで勝つのではなく、そもそも、その物差しでは測れない生き方をする。

誰かの物差しの、届かない場所に。

私は、私の足で歩いていこう。

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この記事を書いた人

1991年生まれ
静岡市在住

◇ Loves ◇
*花と植物
*モルモット
*ウクレレ

◇ What I do ◇
*イラストとデザイン
*不登校の子どもの居場所づくり
*小学生向け学習塾

◇ Values ◇
*暮らしを愛でること
*好きを育てること
*安心の種を届けること

暮らしを愛でる中で見つけた
小さな幸せや気づきを綴っています。

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