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「死にたい」という気持ちは、本能なのだろうか。

「死にたい」という気持ちは、本能なのだろうか。

ふと、そんなことを考えた。

人間には、自分の意思だけでは簡単に消せない欲求がある。

「食べたい」

「眠りたい」

そして、ときどき

「死にたい」

そんな気持ちも、それらとよく似た顔をして現れることがある。

頭で考えて選んだというより、
どこか身体の奥から突然湧いてくるような。

抗うのが難しいほど、強い衝動として。

でも、本当に欲しいのは「死」なのだろうか。

–––––

人間を含めた動物には、苦痛から逃れようとする仕組みが備わっている。

痛ければ離れる。
怖ければ逃げる。
苦しければ、そこから抜け出そうとする。

「逃げたい」は、生き延びるための、とても原始的な欲求だ。

けれど、人間は少しややこしい。

目の前の場所から逃げるだけではなく、

過去を思い出し、
未来を想像し、
自分の人生そのものについて考えることができる。

だから、苦しさがあまりにも大きくなったとき。

「ここから逃げたい」が、

「全部終わらせたい」

「全部なかったことにしたい」

「この人生から降りたい」

にまで広がってしまうことがあるのかもしれない。

–––––

私自身、昔は「死にたい」と思うことがよくあった。

今振り返ってみると、
学校から逃げたかった。
仕事から逃げたかった。
社会から逃げたかった。

でも、それだけではなかったように思う。

そこにうまく適合できない自分が、情けなかった。

みんなが普通にできているように見えることが、自分にはうまくできない。

社会に適合できるかどうかが、
当時の私にとっては、生きるか死ぬかくらい重大なことだった。

だから、「やり直したい」とは少し違った。

もっといい人生を送りたいわけでもない。

立派な人間になって、
一から人生をやり直したいわけでもない。

ただ、

「人間をやめたい」

「この人生から降りたい」

そんな感覚だった。

何者にもならなくていい。

何も要求されない。

何も証明しなくていい。

失敗することもない。

「ちゃんと社会に適合できているか」と、
もう問われなくていい。

そんな場所に行きたかったのかもしれない。

–––––

そう考えると、「死にたい」という言葉の中には、とてもたくさんの意味が押し込められているように思う。

逃げたい。

休みたい。

解放されたい。

評価されたくない。

期待に応えたくない。

もう頑張りたくない。

何者にもならなくていいことにしたい。

それらすべてを一言で表そうとしたとき、

「死にたい」

という、とても極端な言葉になってしまうことがあるのかもしれない。

–––––

そして今。

昔欲しかったものを、
私は少しだけ手に入れているような気がする。

何者にもならなくていい。

何も成し遂げなくてもいい。

以前よりも、そう自分に許可できるようになった。

失敗は相変わらずする。

でも、失敗したからといって激しく責められるわけでもない。

結婚して、自分なりの暮らしができて、
外の世界でうまくいかない日にも帰ってこられる場所ができた。

私にとっては、それがひとつの「安全地帯」になった。

安全地帯があるから、
社会から完全に逃げる必要もなくなった。

失敗しても、帰ってくればいい。

うまく適合できないことがあっても、
それで自分の人生すべてが否定されるわけではない。

–––––

そうやって考えてみると、

人生そのものから降りなくても、
降りられるものは案外たくさんある。

「普通に生きなければならない」から降りる。

「ちゃんと働かなければならない」から降りる。

「人並みにできなければならない」から降りる。

「失敗してはいけない」から降りる。

「何者かにならなければならない」から降りる。

もちろん、現実はそんなに簡単ではない。

学校も仕事も人間関係もある。

生きていれば、どうしたって社会とは関わる。

失敗だってする。

それでも、

「このルールに従えなければ、私は生きていてはいけない」

というところからは、降りてもいい。

不思議なことに、

何者にもならなくていいと思えるようになると、
少しだけ何かをやってみたくなることがある。

失敗しても帰れる場所があると、
少しだけ外へ出てみようと思えることがある。

社会に適合できるかどうかを、生きるための条件にしなくなると、
自分なりのやり方で社会と関われるようになることもある。

–––––

昔の私は、
「この人生から降りたい」と思っていた。

でも今になって振り返ると、

人生そのものではなく、

自分を苦しめていた「人生のルール」から降りたかったのかもしれない。

何者かにならなければならない人生。

ちゃんとできなければ価値がない人生。

失敗したら居場所を失う人生。

そんな人生から降りて、

失敗してもいい。

人と同じようにできなくてもいい。

何者にもならなくてもいい。

そんな別のルールで、

同じ人生を続けることはできるのかもしれない。

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この記事を書いた人

1991年生まれ
静岡市在住

◇ Loves ◇
*花と植物
*モルモット
*ウクレレ

◇ What I do ◇
*イラストとデザイン
*不登校の子どもの居場所づくり
*小学生向け学習塾

◇ Values ◇
*暮らしを愛でること
*好きを育てること
*安心の種を届けること

暮らしを愛でる中で見つけた
小さな幸せや気づきを綴っています。

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