先日、ChatGPTと対話していて、こんな言葉が生まれた。
「自分の呼吸で、水のように生きる。」
その瞬間、私は「あ、これだ」と思った。
ずっと探していた言葉が、ようやく見つかったような気がした。
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私は昔から、老子の考え方が好きだ。
「上善は水の如し」という言葉も、その一つ。
水は高いところを目指さない。
低いところへ自然に流れ、人と争わず、それでいて岩を削るほどの力を持っている。
頑張って「水になろう」としているわけではない。
ただ、水として存在している。
そんな在り方に、私はずっと惹かれてきた。
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最近、自分の暮らしを振り返って気づいたことがある。
私は、大きな成功を目指して走り続ける人生よりも、
朝、お茶を飲んで、
花を眺めて、
ブログを書いて、
英語を少し勉強して、
ゆっくり深呼吸できる一日が好きだった。
何かを成し遂げた日より、
心地よく過ごせた日を「いい一日だった」と思う人だった。
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以前は、それを少し物足りなく感じることもあった。
もっと頑張った方がいいのかな。
もっと成果を出さなきゃいけないのかな。
もっと理想の自分にならなきゃいけないのかな。
でも最近、少し考え方が変わってきた。
無理に理想の自分になろうとしなくていい。
その言葉が、心にすっと入ってきた。
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「暮らしを愛でよう」
これは私のブログのテーマでもある。
でも最近思う。
愛でるというのは、何かを増やすことじゃない。
完璧な部屋を作ることでもない。
キラキラした暮らしを見せることでもない。
今ここにあるものを、
「いいな」
と感じる心を持つことなんだと思う。
朝の光。
お気に入りのカップ。
季節の花。
読みかけの本。
今日という、何でもない一日。
そんな一つひとつを、味わいながら暮らしていく。
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老子は、「自然(じねん)」という在り方を大切にした。
無理をしない。
背伸びをしない。
流れに逆らわない。
私はその考え方に、どこか救われる。
世の中には、「もっと頑張ろう」という言葉がたくさんある。
もちろん、それも大切だと思う。
でも、
「今日はゆっくりお茶を飲もう。」
という選択も、同じくらい大切にしていいんじゃないかと私は思う。
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急がないのが好きだ。
昔から「マイペースだね」とよく言われる。
最近は、それが短所ではなく、自分らしさなんだと思えるようになった。
誰かのペースじゃなくて、
自分の呼吸で歩く。
それでいい。
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水は、自分を誰かと比べない。
花になろうともしないし、
雲になろうともしない。
ただ、水として流れていく。
私もそんなふうに暮らしたい。
未来の夢はある。
庭付きの家にも住みたい。
英語も話せるようになりたい。
でも、その未来のために、今日という一日を犠牲にはしたくない。
途中にいる今も、大切な一ページだから。
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だから今日も、
少しだけ部屋を整えて、
お気に入りのカップでお茶を飲んで、
窓を開けて深呼吸する。
そんな何でもない一日を、
これからも愛でながら暮らしていきたい。
自分の呼吸で、水のように。






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