「自分探し」という言葉がある。
この言葉には、どこかにまだ見つけていない「本当の自分」が存在しているような響きがある。
土の中に埋まった宝物のように。
余計なものを取り除いて、深く掘っていけば、いつか中心にいる「本当の私」にたどり着ける。
私も、なんとなくそう思っていた。
でも最近、少し違うのかもしれないと思う。
もし自分というものが、最初から完成された形で存在しているわけではないとしたら。
私たちは「本当の自分」を探しているのではなく、
生きながら、自分を作り続けているのかもしれない。
春の私と、冬の私
一本の木を想像してみる。
春には花を咲かせる。
夏には青々と葉を茂らせる。
秋には色づき、
冬には葉を落とす。
姿はまるで違う。
けれど、
「花を咲かせているときだけが、本当の木」
とは誰も思わない。
葉を落とした冬の姿も、その木だ。
人間も、同じなのかもしれない。
何かに夢中になっている私。
飽きてしまった私。
新しいことを始めた私。
途中でやめた私。
失敗した私。
立ち止まっている私。
また何かを好きになった私。
どれか一つだけが「本当の私」なのではなく、
その全部が私なのだと思う。
「私は何者?」を名詞で答えなくてもいい
「私は何者なんだろう」
そう考えるとき、私たちはつい、自分を一つの言葉で説明しようとする。
教師。
会社員。
作家。
クリエイター。
母親。
妻。
何かを成し遂げた人。
けれど、人間はそんなにきれいに一つの箱には収まらない。
昨日まで好きだったものに興味を失うこともある。
ずっと興味がなかったことを、突然好きになることもある。
十年前には想像もしなかった場所に立っていることだってある。
だから、
「私は○○な人間です」
と自分を固定しなくてもいいのかもしれない。
「私は何者か」という問いの答えは、
名詞ではなく、動詞なのかもしれない。
私は今、何を愛しているのか。
何を考えているのか。
何を選ぼうとしているのか。
どんなふうに今日を生きているのか。
その積み重ねが、私になる。
途中でやめたことも、消えてはいない
何かを途中でやめると、それまでの時間まで無駄になったように思う自分もいる。
せっかく始めたのに。
せっかく勉強したのに。
せっかく道具を揃えたのに。
続かなかった。
また違うものに興味を持っている。
そんな自分を見ると、「私は何をやっても中途半端だ」と思った。
でも、本当にそうなのだろうか。
過去に好きだったものは、今の私の中から完全に消えてしまったわけではない。
そこで覚えたこと。
身についた感覚。
考え方。
失敗した経験。
その全部が、少しずつ今の自分に混ざっていく。
やめた道も、
今歩いている道につながっている。
人生には、あとになって初めて意味がわかる寄り道がたくさんあるのかもしれない。
バラバラに見えるものの奥にあるもの
そして、もっと長い時間で自分を眺めてみると、不思議なことがある。
そのときどきで夢中になってきたものはバラバラなのに、その奥に同じものが流れていることがある。
文章を書くこと。
人に何かを伝えること。
心理学を知ること。
カードを通して心を眺めること。
暮らしを整えること。
表面だけを見れば、別々のことに見える。
けれど、その奥には、
「自分や誰かの心を整理したい」
「心地よい生き方を見つけたい」
「毎日の中に小さな光を見つけたい」
そんな同じ願いが流れているのかもしれない。
だとしたら、
大切なのは「何をする人なのか」ではなく、
「どんなふうに世界と関わりたいのか」
なのだと思う。
仕事も変わる。
趣味も変わる。
好きなものも変わる。
けれど、その奥にある自分なりのまなざしは、案外ずっと続いている。
歩いたところに、道ができる
人生には、最初から一本の正解の道が用意されている。
どこかそんなふうに思っていた頃がある。
だから、その道から外れるのが怖かった。
選択を間違えることも。
途中でやめることも。
別のものを好きになることも。
でも今は違う。
人生は、正しい道を歩くものではなく、
自分が歩いたところに、
あとから道ができていくものなのかもしれない。
右へ行った日も。
引き返した日も。
立ち止まった日も。
遠回りした日も。
全部をつなげて振り返ったとき、
「ああ、これが私の道だったんだ」
と思えるのかもしれない。
だから今は、まだ答えがなくてもいい。
一生続けられるものを決めなくてもいい。
「本当の自分」を完成させなくてもいい。
春には春の私がいて、
冬には冬の私がいる。
変わっていくことも含めて、私なのだから。
今日好きなものを大切にする。
今日心が動いた方向へ、少し歩いてみる。
そうやって生きているうちに、
振り返った場所に、
私だけの道ができている。
「本当の自分」は、どこか遠くで見つけてもらうのを待っているわけではない。
今日を生きている、この私が、少しずつ明日の私になっていく。
もしかしたら、それで十分なのかもしれない。


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