大切な人と、突然連絡が取れなくなることがある。
喧嘩をしたわけでもない。
何か決定的な出来事があったわけでもない。
ただ、いつの間にか返事が来なくなる。
何度もメッセージを見返しては、最後に交わした言葉を思い出す。
あのとき、何か間違ったことを言っただろうか。
知らないうちに、相手を傷つけてしまったのだろうか。
答えのない問いばかりが、頭の中を巡っていく。
理由が欲しいのは、未来を変えたいから
大切な人との関係が途絶えると、私はいつも自分の中に原因を探してしまう。
自分の考え方に問題があるのではないか。
人との関わり方を、どこかで間違えているのではないか。
そう考えるのは、自分を責めたいからではない。
むしろ、その逆なのだと思う。
自分に原因があるのなら、変えることができる。
何が間違っていたのかを知れば、次は同じ失敗を繰り返さずに済むかもしれない。
もう、大切な人を失わずに済むかもしれない。
だから、原因が欲しくなる。
たとえ自分が悪かったという結論でも、何もわからないままよりは、ずっと納得できる気がするのだ。
けれど、人間関係は自分一人でつくるものではない。
相手の事情も、気持ちも、人生もある。
自分に原因があるとは限らないし、自分が変われば必ず関係を守れるとも限らない。
そんな当たり前のことを、私はなかなか受け入れられずにいる。
知りたいことと、知りたくないこと
長い間、連絡が取れなくなっている友人がいる。
一緒にいると楽しくて、何気ない会話からも、新しい考え方に出会えるような人だった。
知的で、感性が豊かで、話しているだけで時間があっという間に過ぎてしまう。
出会えてよかったと、心から思える友人だった。
けれど、ある日を境に連絡が途絶えた。
手紙を書いても、返事はない。
何か事情があるのかもしれない。
今は誰とも話せないのかもしれない。
あるいは、もう私と関わりたくないのかもしれない。
いろいろな可能性を考えては、答えのない想像を繰り返す。
本当のことを知りたい。
けれど、知るのが怖い。
知らないままでいれば、いつかまた連絡が来るかもしれないという希望を持ち続けられる。
「知らぬが仏」という言葉が、こんなにも切実に感じられることがあるなんて、思わなかった。
関係が途絶えても、時間は消えない
人との関係が終わると、それまでの時間まで否定されたような気持ちになることがある。
あんなに楽しく過ごしたのに。
あんなにたくさん話したのに。
あんなに大切に思っていたのに。
たった一つの出来事で、そのすべてがなかったことになってしまうようで、悲しい。
でも、最近は少し違うことも考える。
今、相手が自分をどう思っているかはわからない。
これから先、また会えるかどうかもわからない。
けれど、一緒に笑った時間があったことは事実だ。
あのとき楽しかったことも、出会えてよかったと思ったことも、嘘にはならない。
関係が続くかどうかによって、過去の価値まで決まるわけではないのだと思う。
友人に宛てた手紙
もう一度、友人に手紙を書いた。
返事が来る保証はない。
そもそも私には、友人が今どうしているかがわからない。
本人の手元に届く保証もない。
それでも、今度はあまり多くのことを望まずに書いてみた。
元気にしているかな。
穏やかに過ごせているといいな。
またいつか、一緒に笑えたら嬉しいな。
それだけでいい。
以前の私は、大切な人との関係を失うたびに、自分のどこが悪かったのかを探していた。
でも今は、答えを出せないまま、大切に思っていてもいいのかもしれないと感じている。
相手の気持ちをすべて知ることはできない。
どれほど大切に思っていても、その人の人生を自分の思いどおりにはできない。
それでも、私にできることはある。
自分の気持ちを、誠実に届けること。
そして、相手の人生を尊重すること。
大切な人と、ずっと一緒にいられるとは限らない。
けれど、離れていても、相手の幸せを願うことはできる。
明日、一通の手紙をポストに投函しようと思う。
いつか返事が届くことを、心のどこかで願いながら。


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