最近、片付けに対する考え方が少し変わった。
以前の私は、物を手放すことが苦手だった。
「まだ使える。」
「もったいない。」
「売ればお金になるかもしれない。」
そんなことを考えて、なかなか手放せなかった。
もちろん、それも間違いではない。
でも、その考え方だけでは、部屋も心も少しずつ窮屈になっていた。
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最近、石や花、道具たちと向き合う時間が増えた。
お気に入りのストウブで料理をする。
ガラスペンで手紙を書く。
花を飾る。
お気に入りの器でご飯を食べる。
そんな時間を重ねるうちに、ふと思った。
私は、物を使っているというより、一緒に暮らしているんだな、と。
日本には、「八百万の神」という考え方がある。
山にも、川にも、木にも、石にも。
あらゆるものに神様が宿るという考え方だ。
本当に神様がいるかどうかは、私には分からない。
でも、その考え方は、とても好きだ。
だから私は、物もただの所有物ではなく、暮らしの仲間のように思える。
朝、花を見ると心が和らぐ。
お気に入りのマグカップでコーヒーを飲むと、一日が少し優しく始まる。
石に触れると、不思議と気持ちが静かになる。
それぞれが、毎日の暮らしを支えてくれている。
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そう考えるようになってから、あることに気がついた。
命の燃やし方も大切だけれど、終え方も大切なんじゃないか、と。
人生にも、季節の移ろいにも、「終わり」がある。
それは悲しいことではなく、次へ進むための大切な節目だ。
もしかすると、物も同じなのかもしれない。
今まで一緒に過ごしてくれた時間。
たくさんの思い出。
役目を果たしてくれたこと。
それをきちんと受け取って、
「ありがとう。」
そう伝えて見送る。
それも、持ち主としての役目なのではないかと思った。
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以前の私は、「捨てる」という言葉に罪悪感があった。
だから、手放せなかった。
でも今は、少し違う。
これは「捨てる」ではなく、
「ありがとう」と伝える時間なんだ。
そう思うと、不思議と心が軽くなった。
物を粗末にしたいわけじゃない。
むしろ、その逆だ。
最後まで大切にしたい。
最後まで感謝したい。
だからこそ、役目を終えたものは、きちんと見送ってあげたい。
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片付けは、物を減らすための作業ではない。
役目を終えた仲間へ、
「今までありがとう。」
と伝える時間。
そうして生まれた余白には、今そばにいる大切な仲間たちとの時間が流れ始める。
お気に入りの花。
お気に入りの器。
お気に入りの鍋。
お気に入りの石。
本当に大切なものが見えやすくなる。
たくさん持つことが豊かさではなく、
一つひとつを大切にできることが、私にとっての豊かさなのだと思う。
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暮らしを愛でる。
私は、この言葉が好きだ。
以前は、「お気に入りを迎えること」だと思っていた。
その意味が少し変わった。
迎えること。
大切に使うこと。
感謝すること。
そして、見送ること。
そのすべてを含めて、「暮らしを愛でる」なのだと思う。
片付けは、ただ終わらせることではない。
今まで一緒に歩いてくれた物たちへ、
「ありがとう。」
と伝える、小さな感謝の儀式。
そんな時間を重ねながら、
これからも、本当に大切だと思える仲間たちと、暮らしを育てていきたい。







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